先日、両荘寿大学(高齢者大学)にて行われた人権講座に参加させて頂きました。
講師は覆面レスラーでコミカルプロレスラーとして活躍中の救世忍者乱丸さんです。
今回はそんな乱丸さんの講義で学んだ「不可能を可能にする力」についてお話しします。
講義のテーマは「夢をカタチに」
講義のテーマは「夢をカタチに」です。
乱丸さんは3歳の頃に網膜芽細胞腫という目のガンを発症し片目を摘出した義眼のプロレスラーです。
とても陽気な方で、その姿からは想像できないほど壮絶な過去がありました。
今回はそんな自身の人生から学んだことをテーマにした講義でした。
不可能を可能にする力
乱丸さんの好きな言葉にこんな言葉があります。
「固い決意と粘り強さが不可能を可能にする」
片目であることを理由にプロレス団体に入れなかったり、デビュー後も難病を患ってしまうなどの話を聞いていると、乱丸さんの人生は本当に壮絶だったように思います。
そんな乱丸さんだからこそ、これだけ説得力のある言葉になるんだなと思いました。
人は「自分はこうだから」「自分はああだから」と言って前に進めなくなることが多々あります。
わたしもこれまでにもトランスジェンダーであることや、それ以外のことでも、理由を作っては足を止めてしまったことが沢山ありました。
「固い決意と粘り強さが不可能を可能にする」 すごく胸に刺さる言葉ですね。
どんな未来を掴むかは自分次第
わたしの周りには乱丸さん以外にも乱丸さんのように夢に向かって全力で突き進み夢を掴んだ方がいます。
誰にどんな未来が待っているかはわかりませんし何の保証もありませんが、どのように頑張り未来を掴むかは自分次第なんだなと思いました。
人生は一回しかない!
人生は一回しかないんです。
自分のしている努力が、求めているものとして直接報われないことだってあります。
よく言われてることですが「何かに向かって注いだ力は自分の求めているかたちで返ってくるとは限りませんが、どんなかたちであれ自分に返ってくるもの」だとわたしは思います。
わたしたちも乱丸さんのように、夢ややりたいことがある限りそれに向かって挑戦していきたいですね。
夢に向かって突き進む力、本当に素晴らしいことですし輝かしいことですね
救世忍者乱丸の誕生まで
夢のきっかけ
当時、大学生だった乱丸さんはプロレスを観に行ったことがきっかけで、1人の女子プロレスラーのファンになりました。
やがて乱丸さんのプロレスファンの気持ちは憧れへと変わり、次第にその憧れも強くなっていきました。
そしてプロレスラーになりたいと思い始めたそうです。
乱丸さんは父親の影響もあり、小学4年生の頃から空手をしていたそうで、世界大会にも出場するほどの実力の持ち主だったそうです。
夢を志す前から強かった乱丸さんですが、プロレスラーになるためにいよいよプロレス団体のオーディションに参加します。
夢への第一歩! プロレス団体へのオーディション参加
大学生だった乱丸さんは、年齢制限のないプロレス団体を探しオーディションを受けました。
そのプロセス団体の入団テストは多くの人がリタイヤしていくような難しい入団テストだったそうです。
そんな中、乱丸さんはその入団テストを一人難なくこなしました。
合格を確信していた乱丸さんですが、オーディションには落選してしまいました。
その理由は片目であることによる視界の狭さ、義眼による頭蓋骨骨折のリスクなどを懸念されてでした。
諦めきれなかった乱丸さんは、手紙を書きプロレス団体に直接持って行ったりしたそうなのですが、やはり言われることは同じだったそうです。
最後には落選したプロレス団体の試合を見せてもらったそうですが、目の前にあるのに手の届かないリング、そしてこみ上げる悔しさで最後まで試合を見れなかったそうです。
そしてその日は「頑張って努力しても夢なんて叶わない」と絶望したそうです。
ついに憧れのプロレス団体へ
一度は絶望した乱丸さんですが、諦めきれずにその後もオーディションを受け続けました。
その結果、 見事合格することができました。
まだ乱丸さんは大学生だったため、卒業後入団というかたちでの合格だったそうです。
入団までの間はアニマル浜口さんのプロレスラー養成ジムに通っていました。
入団が決定しあとは卒業を待つだけの乱丸さんでしたが、その間に憧れていたプロレスラーが所属していたプロレス団体が倒産しました。
倒産したことによりそのプロセス団体の入団条件の年齢制限がなくなりました。
憧れのプロレスラーの所属する団体に入団したかった乱丸さんは、入団が決まっていたプロレス団体を断り、オーディションを受けに行ったそうです。
そして見事合格し入団することができました!
プロレス団体に入団することはできたが、その日々は壮絶だった
憧れのプロレス団体へ入団した乱丸さんは、義眼を隠すため覆面レスラーとしてプロレス業界にデビューしました。
しかしプロレス業界の下積みはかなり大変だったようです。
雑用をさせられる他、理不尽なことも多く、覆面レスラーなのに素顔でリングへ上がらされたり坊主にされたりと、壮絶な日々を送っていました。
そんな過酷な日々に辞めていく新人レスラーも多く、人数が減ったことで1人で雑用をこなせなかったこともあったそうです。
そして乱丸さんもその日々に耐えられなくなり、とうとうプロレス団体を退団してしまいました。
後悔の中の一本の電話、救世忍者乱丸の誕生!
プロレス業界を辞めた乱丸さんは家業を手伝っていました。
しかし乱丸さんは、憧れていたプロレス業界から身を引いてしまったことにすごく後悔していました。
そんな中、ある人物から一本の電話が掛かってきました…。
「うちでやらない?」
そんな電話をかけてきてくれたのはジャガー横田さんでした。
ジャガー横田さんは「片目のレスラーがいる!」と乱丸さんがプロレス団体に入団した時から、乱丸さんの存在を知っていたそうです。
そしてジャガー横田さんの誘いにより、吉本女子プロレスJd′(現在はすでに解散しているプロレス団体)に入団ました。
入団後はジャガー横田さんの提案で忍者というキャラが生まれ、救世忍者乱丸が誕生しました。
再デビュー後は数々の活躍を重ね、2004年には見事「TWF世界タック王者」になりました。
諦めずに頑張りようやく入ったプロレス業界はかなり大変だったようですね。
一度は退団してしまうも、またチャンス巡ってきたのは乱丸さんがプロレス入団のために諦めずに努力していたからこそだと思います。
「諦めが肝心」という言葉もありますが、わたしはこの話を聞いて諦めない大切さを感じました。
夢を掴んだ乱丸さんに更なる苦境が襲い掛かる
乱丸さんは「TWF世界タック王者」になったあと、2005年にはプロレス団体を退団しフリーランスになりました。
フリーランスになってからも、海外への遠征や舞台など様々な活躍を見せました。
しかし急速進行性糸球体腎炎という腎臓病を患ってしまいます。
病気をも屈服させる言葉の力
「プロレスラーになる」という夢を掴み波に乗っていた矢先に襲いかかってきた病、復帰は絶望と言われていたそうです。
当時の乱丸さんは知らなかったそうですが、病気の発見がかなり遅かったようで、すでに致命的な状態でした。
そんな中、お見舞いに来てくれていたジャガー横田さんの旦那さん、木下博勝さんがこんな言葉をかけてくれたそうです。
「時間はかかるけどすぐに治るよ」
その言葉に乱丸さんの気持ちは軽くなったそうです。
するとその言葉通りに病状も次第に回復していき、絶望と言われていたプロレス業界への復帰も果たすことができました。
乱丸さんが病気を克服できたのはこの言葉があったからと講演会でも語っていました。
復帰後はコミカルプロレスラーとしての道を歩む
復帰の際、ジャガー横田さんとライオネス飛鳥さんが乱丸さんをプロデュースし、コミカルプロレスラーとして復帰を果たしました。
現在を現役の乱丸さんは、様々なイベントに呼ばれる他、自主興行「乱丸フェスタ」を開催したりして活躍しています。
まとめ
今回は乱丸さんの講義で学んだ「不可能を可能にする力」についてお話しします。
講演会は自分を過小評価せず諦めずに前に突き進んでみるのも大切なことなんだと感じさせられる講演会でした。
乱丸さんは現在も自分の生い立ちを題材に様々な場所で講演されています。
わたしもまだ夢に向かって突き進んでいる途中ですが、この講演会に参加させていただき、さらなる頑張る活力をもらえました。